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 瞼の奥に感じるのは鈍い光の温かさ
 ベッドの中で死んだように深い眠りについていた黒い影が、もぞもぞと動き始める。






「朝・・か・・・」




 うっすらと目を開け、光を認識した口から漏れたのは掠れた声
 僅かに動かしただけで軋む身体は、感情さえも無気力なものへと変えていく。




「はぁ・・・・」




 それでも軽く首を捻り左右を見回すが、ベッドの中には当然ながら己以外誰もいなかった。
 何一つ残すことなく消える悪魔が、昨夜この場にいたという証拠は、白いシーツの上に飛び散っている血の跡のみ。
 眩暈がする程に赤々しかった鮮血も、今は赤黒く変色し、特有の鉄臭さを放っていた。






 ――――― 昨夜はいったい、どれ程の量の血液を体内へ取り込んだのだろうか






 悪魔の血を渇望する身体は逆らう事も出来ず、内部から犯され精神は徐々に狂わされていく。
 花の様な甘い香りに惑わされ続けたまま、いずれこの身も悪魔となって朽ち果てるのか・・・・・?




「最悪の目覚めだな」




 重い身体を起こし、包帯が解かれ露となっている腕の刻印を見つめる。
 当初は真っ黒だったそれも、薄っすらと赤みを帯び、確実なる悪魔の支配を表していた。




 剣のように鋭い棘を持った荊は全身を縛り、もがけばもがくほど深く突き刺さって逃れる事は叶わない。
 自身を殺すか、奴を殺すか・・・・・・




 全ての血が流れ落ちる前に決着をつけなければ、心は完全に奴の手元に狂い堕ちるだろう。
 もうその予兆は現にきているのだから。




 目覚めの悪い身体を引きずるようにベッドから抜け出ると、そのままの姿で浴室へと向かった。


















 乾いた床、窓から光は差し込んでいるものの、すっかり冷え切っている浴室
 コックを捻り、頭から熱い湯をかぶる。


 すぐに降り注ぐ温かな雨
 床を打ち付ける柔らかな水の音と立ち上る湯気が心地よく身体を包みこむ。
 体内のものを全て吐き出すように深く息を吐くと、俺はようやく強張っていた筋肉を弛緩させた。


 支配するのは水の音だけ
 昨夜の悪夢はゆっくり流れ落ちていく。
 



 このまま、何もかも流れ落ちてしまえばいいのに・・・・・




 一瞬頭を掠めた、らしからぬ思いに苦笑し、心底から温めてくれたシャワーを止めてもう一度息を吐いた。




「何を考えているのやら・・・」




 昨夜起こった事実は紛れもない真実
 そう簡単に流れて消えるほど、軽いものではないのは自分がよくわかっているというのに。




 ポタリ、と雫が肌を滑り落ちていく。
 顔に張り付いた濡れそぼった髪をかき上げながら、視界の端に映る鏡に視線を移した瞬間、髪を撫でていた俺の手はピタリと止まった。


 映っているのは紛れもない自身の身体
 だが、反射した日の光に照らされ包み隠さず露となったその上には、まるで花が舞い散ったかのように、至るところ鬱血痕がはっきりと残されていた。
 鮮やかな赤の彩りを見せるそこに愛などという甘い感情はなく、ただ己の物を示すための所有と束縛の印。




「っ・・・」




 流れたはずの昨晩の出来事が脳裏に蘇る。
 ベッドの上で奴を受け入れながら、血を啜って悦んでいた浅ましい姿
 食欲と性欲を同時に満たすこの行為は決して拒否することは出来ず、奴の香りに溺れ狂う。




 餓えたように、小さく喉が鳴った。




 ほぼ無意識に指先を鏡へ伸ばし痣の1つにそっと触れただけで、花のような甘い香りを含んだ悪魔の囁きと身体中を這う舌の感触に支配され、秘めた欲望が渦巻き出す。


 ビクンと震える身体。
 それでも何かの呪縛に囚われたか、鏡から視線を逸らせぬまま操られた指先は、鏡に映る印を1つずつゆっくり撫で上げてゆく。




「・・はぁ・・っ・・・」




 肌を這い回る悪魔の感触は消えずに、火照り出した身体は更なる欲を求めて疼き出し、半開きの口からは切なげな息が零れ落ちる。




 俺はいったい何をしているのか・・・?




 頭では理解していても、まるで本当に悪魔に撫でられているかのように、指は止まる事なく動き続ける。




「っぁ・・、ロセっ・・・・」




 吐息の合間に漏れる悪魔の名
 やがて耐え切れず、印をなぞっていた手を鏡に押し付け身体を支えると、空いた側の手で己自身を握り締めた。




「・・くっ・・ぁ・・・」




 直接的な刺激が与えられた身体は悦びを増し、眩暈がするほど快楽が駆け抜けていく。


 自分しかいないこの状況下が、大胆さを増加させているのだろう。
 もはや声を押し殺す事もなく、欲望に従順になった身体は天を仰ぎ、更なる快感を求め続ける。




「ロセ・・・、っ・・んっ・・・・」




 甘い幻聴は今尚囁き続けて、狂わされた脳が発する言葉は悪魔の名


 片腕だけでは支えきれず、前のめりになった上半身は鏡を覆い隠し、壁に頭を押し付けて身体を固定させる。
 腕の隙間から僅かに入り込んだ光によって鏡に映された姿は薄っすらと紅潮し、熱をもって吐き出される息で鏡はより白さを増していた。




 もう止める事は出来ない。
 快楽に呑まれ、朦朧とし始める意識


 自身を擦り上げるスピードを変えぬまま、乱された快楽は昇りつめてゆく。




「ぅ・・くっ・・・、はぁ・・ん・・あぁ・・っ・・・」




 高ぶった熱を吐き出そうと、鏡に長い爪を立て、口唇をかみ締めた ――― その時




「おや? ひとりでお愉しみですか?」




 自身を掴んでいた腕を引き剥がされ、熱も吐き出せぬまま快楽を留めた身体に、その声は柔らかに響いた。




「っ・・ロセ・・・!」




 鏡に映された真紅の髪色
 先ほどまで独りだった空間に、悪魔の色が満ちていく。


 突如として現われた彼を前に、弛緩した身体と意識は膜を帯びたまま、茫然と鏡越しに彼を見つめる事しか出来ない。
 やがて背からゆっくりと抱き起こされ、抵抗すらせずに完全に悪魔の内へ捕らわれた。




「ふふ・・、こんなに勃起させて・・・。昨晩はあんなに愛して差し上げたのに、まだ足りなかったのですか?」




 微笑を含んだ声と共に、皮手袋のはめられていない素の指がするりと俺のモノを撫で上げる。




「んっ・・・」




 ただそれだけで熱は再び蘇り、彼を求めて腰は自然と揺れ動く。
 呑みこまれる恐怖と、求める快楽の中




「離・・せっ・・・」




 口から出た言葉は思う以上に弱りきっていた。




「欲しているのでしょう? 素直に求めればいい」
「誰がっ・・! っ、あぁ・・・!!」




 突然やんわりと掴まれていた自身の根元をキツく握られた瞬間、燻っていた果てぬ熱は狂いそうなほどの快楽を伴って身体中を駆け巡った。
 堪らず声を上げる俺を前に悪魔は微笑を浮かべると、幻聴で聞こえ続けていた甘い囁きを吐く。




「仕方のない子だ。それでは貴方が欲するまで、少し遊ぶことにしましょうか」




 俺の胸を支えていた悪魔の手が離れ、眼の前に掲げられると同時、奴の赤く鋭い爪がそのまま悪魔自身の指を切り裂いた。
 刹那、傷口から滴り始める赤い液体
 濃厚な香りが鼻をつき、渇いた欲望が目覚め始める。




「舐めなさい」




 耳元を擽る甘美な言葉
 とめどなく流れ続ける赤から目を離せず、誘われるがまま俺は奴の指へと舌を伸ばした。


 毒々しいのに甘く、触れるだけで意識を狂わせる媚薬
 ぴちゃぴちゃと音をたてながら、まるで性器を舐めるように、奴の指に何度も舌を這わす。


 次第に舐めるだけでは足りなくなり、餓えた口は奴の指を深く咥え込んで傷口から血を絞り出すためにキツく吸い上げていく。




「んぅっ・・・・」




 蠢く悪魔の指は舌を弄り、口内に満たされていく血の味に喉は満足げな声を鳴らす。
 口の端から唾液を含んで零れる血液は、白く曇った鏡の奥で赤く色づいて流れていた。




「いい子ですね。さぁ、更なる快楽を・・・・」




 口から指を引き抜かれ、繋がれているのは赤い糸
 欲する量には足りなくて、追い求めるように両手で奴の腕を掴む。




「もっと・・・もっと血を・・・!」
「焦らずとも、すぐに差し上げますよ」




 するりとすり抜けた奴の腕はそのまま俺の腰を抱く。
 背後から圧し掛かられ、自然と前のめりになった身体を支えるため両腕を鏡に押し当てると、言われるがままに奴が為そうとしている事を待つ。




 この先行われる事は全てを理解している。
 だが、血を欲し、甘美な快楽を呼び起こされた身体は抵抗すらする気力がない。


 否定しているのは頭だけ
 心の奥は奴を待ちわびて、早く早くとせがむように疼き続けていた。


 そして、それを見越した上で、奴は更に囁く。
 俺から逆らう力を奪うために・・・・・・




「ヴィネガ。貴方が求めるものは?」
「俺が求めるのは・・・血と、快楽」
「得るためには?」
「お前が、欲しい・・・」




 虚ろ気な言葉が口を出る。
 鏡越しに満足そうな微笑を湛え、悪魔は俺の腰を引くと、ためらう事もなく一気に奴自身を突き立てた。




「っ―――・・・!!」




 その瞬間に鋭い快楽が押し寄せ、声にならぬ声が上がる。


 仰け反る身体
 一瞬真っ白に染まった視界


 硬質な鏡に立てた爪が、ぎりぎりと嫌な音を立てる。
 せき止められてイくにイけない熱が再び激しく身体の中を巡り始め、耐え切れずに一筋の涙が目から零れ落ちた。




「貴方が欲すれば、手に入らない物はない。欲望を素直に望みなさい」




 湿った水音が狭い浴室に響き渡る。
 休む間もなく揺り動かされ、半開きになった口から漏れるのは喘ぎ声だけ
 狂いそうな快楽に耐えようとキツく目を瞑っても、生理的な涙は止まる事なく流れ続ける。




「や・・・めっ・・・、んっあっ・・・あ・・・・っ」
「随分とキツく締めてきますね。そんなに気持ちいいですか?」
「違っ・・あぁっ・・・!!」




 一際大きく攻め立てられ、否定の言葉も紡げぬまま、熱され過ぎた身体は限界を訴える。




「も・・離・・せ・・・、早・・・く手を・・・・っ」




 未だ自身を縛り付ける奴の手は緩む事なく、それでも強い快楽にポタリと先走りの涙が零れ落ちる。




「ロセっ・・・!」




 切羽詰った声でさえも奴は甘い微笑で流し、更に俺の背へ圧し掛かると耳元で妖しく囁いた。




「望む時はどうすればいいか。おねだりの仕方は教えたはずでしょう?」




 より強く掴まれ痛みさえ伴い始めた悪魔の悦楽は、抵抗も、俺自身を苛む屈辱さえも奪い去る。
 悪魔に毒された思考が吐き出す言葉はただ1つ




「イ・・き・・たい・・・、もぅ・・頼む・・・ イかせてくれ・・・早くっ・・・・・」




 弱々しい掠れ声は懇願に近く、早い解放を願うだけ
 身体も心も、全てがもう疲れ切っていた。




「・・・・・まぁいいでしょう」




 するりと指が解かれ、悪魔はその手で俺の腰を掴む。




「いい声で鳴いて下さいね」




 止まっていた腰の動きが再開し、燻っていた熱が再び疼き始めた。
 悪魔はより深いところを抉り出し、焦らされ続けた身体はすぐに昇りつめていく。




「はぁ・・ンっ・・あぁ・・・・」




 ぐちゅぐちゅと卑猥な音が、心臓と同じ早さで浴室に響き、そして―――




「・・も・・イく・・・・、ぁ・・ロセっ・・・くっ・・・・、ぅあぁっ・・・!!」




 鏡に突き立てた爪が軋む程の力を篭め、一気に白濁とした熱を吐き出した。


 飛び散った欲は湯気に曇った鏡を汚し、解放と共に視界は真っ白に染まる。
 強張っていた筋肉が緩み、為す術もなく崩れ落ちた身体を悪魔に支えられ、俺はそのまま柔らかな甘さの中へと身を任せた――――――














 腕の中でぐったりと横たわる夜鴉の身体
 どろりと流れ落ちてゆく、鏡に放たれた彼の欲望


 何とも言えぬ恍惚感に浸りながら、悪魔は妖艶な笑みを浮かべ呟く。




「もう逃れる事は適わない。今はただ、ゆっくりとお休みなさい。私の愛しい人形――――――」